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特徴 正式名称『三国志SAGA~戦火の嵐~』 基本プレイ無料 三国志を題材にした戦略シュミレーションブラウザゲーム シュミレーションにありがちな資源開発や施設建設、兵士募集のルーチンワークに時間を費やす必要がない ゲーム初盤から直接、三国志の戦場に飛び込み、リアルで本格的な戦略シュミレーションを楽しむことができる このページに追加したい情報・項目を投稿してください。 名前 Amazon.co.jp ウィジェット Amazon.co.jp ウィジェット
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登録日:2015/03/30 Mon 00 43 12 更新日:2024/05/13 Mon 21 58 00NEW! 所要時間:約 7 分で読めます ▽タグ一覧 キャッチ リリース ベトナム 七縦七擒 三国志 三国志演義 南蛮 孟獲 機動武闘伝Gガンダム 猛獣 祝融 誇張 間違ったイメージ 南蛮とは昔の中国において南西の異民族を指した言葉である。 今は南中とも呼ばれている。 三国志では一つの勢力に近い形で登場している。 南蛮ってどこらへん? 現在でいうところの中国雲南省からベトナム・ミャンマー北部であるとされている。 三国志でいうと蜀の南のあたりになる。 三国志における活躍 まず正史における記述。 もともと蜀は地理的な関係で、南蛮地帯と隣接していた。 そのため良くも悪くも影響を受けやすく、劉備の存命中にも幾度か反乱を起こしている。 あの馬謖も、越雋郡の太守であったころに南蛮と結託した反乱に巻き込まれており、それを鎮圧したエピソードがある。 孟獲の初登場は、劉備が死んだ西暦223年のこと。 益州南部・建寧郡の豪族に雍闓という人物がいたが、彼は劉備の死に付け込んで反乱を起こし、それに孟獲が呼応。 孟獲は南蛮と総称される諸部族に渡りをつけてことごとく造反させ、朱褒や高定も味方につけるなど、一時は地域全体を支配する大勢力となった。 これに対して225年、劉備死後の体制を整えた諸葛亮が、李恢・馬忠の軍勢とともに自ら南蛮平定作戦を開始。 当初の首魁だったはずの雍闓は、高定といさかいを起こしたあげくに暗殺されていた。 すると孟獲が雍闓の残党を糾合し、そのまま諸葛亮の討伐軍を相手に抵抗を開始。 諸葛亮は南蛮平定にあたって、ただ鎮圧するだけではなく、南蛮勢力の心服と蜀漢への組み込みを狙っていた。 端的に言うと、税の納入、兵士の供給である。 そのために彼は腰を据えて孟獲らと戦い、捕えても抵抗の意志があるとみるや解放し、ついに彼が完全に起伏したところで凱旋した。 この「何度も捕えては、完全に心服するまで開放した」エピソードは後世「七擒七縱」と呼ばれた。 正史「三国志」においては諸葛亮伝の注に引く「漢晋春秋」に記録があるのみで、あまり目立ってはいない。 ただ、「華陽国志」(348~354年に成立)にはもうこの名前で記録されているとのことで、古いことは古い。 その後の孟獲は南方の管理を請け負う立場となり、やがて「御史中丞」という官位も賜ったという。 また、南蛮平定の結果得られた南蛮出身の兵士たちは非常に勇猛であり、その後の北伐軍における精鋭部隊として活躍した。 ただ、南蛮の情勢はその後も反乱と平定を繰り返しており、そのまま平和になったというわけではない。 蜀漢側も問題は把握しており、諸葛亮とともに従軍していた李恢がその後も引き続き駐留し、南蛮情勢に対処している。 諸葛亮も死んで久しい240年には、馬忠の副将だった張嶷が越嶲郡の太守に着任し、南方や西方の情勢を劇的に改善した。 そもそも張嶷は異民族対策のエキスパートとして知られる超ベテランであり、 後に張嶷が北伐で戦死した時には南中各地の人々が平時からの恩を思い出し涙したという。 三国演義における活躍 その後、三国演義が誕生するにあたって、諸葛亮の南征は大々的にクローズアップされる。 しかし相手が一度しか戦わない「南蛮」ということもあって、ストーリーの整合性などを考えなくてもいいため、 エンターテインメント性をひたすら追求した娯楽エピソードとして完成している。 それでなくても、このころの三国演義は「劉備ら三兄弟や曹操の死」「陰惨な宮廷闘争」「漢の滅亡」「活躍した武将の老衰」など陰鬱のエピソードが続くため、 コミカルな雰囲気漂う南蛮編はまた独特の雰囲気を持った幕間劇となっている。 南蛮の登場 劉備の死後、それを好機と見た魏の曹丕は五路から蜀へ一斉攻撃を開始する。 五路とは曹真・孟達・呉、そして異民族である羌と南蛮を差し、これが南蛮の初登場である。 この時の南蛮軍は孔明の命令を受けた魏延の陽動作戦によって追い払われており、その他の四路も進攻に失敗している。 三郡の反乱 さて、先の戦いで魏延に追い払われた南蛮軍であったが、その後南蛮大王孟獲(もうかく)は本格的に反乱を起こし、さらに雍闓ら蜀の三郡太守もそれに呼応して兵を挙げる。 なんやかんやあってこの反乱は鎮圧されるが、背後にこんな火種を抱えたままではとても魏や呉と相対することなどできないと考えた孔明は、南蛮平定のために進攻を開始する。 南蛮進攻 蜀軍の進攻を知った孟獲は幹部である董荼那・阿会喃・金環三結を召集して迎撃に向かわせる。 ……が、しょせんは田舎っぺ大将の集まり、金環三結は趙雲にあっけなく討たれ、董荼那と阿会喃は孔明に捕えられてしまう。 捕えられた2人は孔明に手厚くもてなされた上で解放されたが、これを受けて孟獲は直々に出陣する。……が、やっぱりこれまたあっさりと捕えられてしまう。 孔明は南蛮を攻めるにあたり、武力ではなく心を責めることで帰順させようとしていたため、孟獲も命を取ることなく解放させる。カウントⅠ 解放された孟獲は陣に戻ると部下に「番兵を斬って脱出してやったぜ!」などと嘯き、再び董荼那に蜀軍を攻めさせる。 しかし、董荼那は敵である自分を手厚くもてなし、命を助けてくれた孔明と戦うことが忍びなくて戦わずに引き揚げてしまう。 それを知った孟獲は大激怒し、三国志名物棒叩きの刑にされてしまった。 董荼那は当然不満に思い、孟獲を捕えて蜀軍に降伏する。カウントⅡ 二回くらいではまだまだ負けを認めない孟獲。気長にいこうとする孔明はやっぱり孟獲を解放する。 ……のだが、孔明はなにをトチ狂ったか、その前に董荼那を自陣に引き挙げさせているのである。 孟獲は捕えられる過程で董荼那の声を聞いていたため裏切ったことを知っており、当然自陣に戻ったら董荼那を罠にハメて殺害する。孔明ほどの男ならこうなることは想像できると思うんですが…。 ついでに董荼那が裏切ったってことは阿会喃も怪しいという理由で一緒に殺されている。ええ... さて、性懲りもない孟獲は弟の孟優に貢物を持たせ、蜀軍に偽りの降伏をさせる。油断した蜀軍に夜襲をかけようという算段である。 そんな浅知恵で倒せるなら諸葛亮はとっくにくたばっている。 当然のごとく孔明には見破られており、夜襲に備えていた蜀軍によって孟獲は捕えられる。カウントⅢ 三度解放された孟獲。さすがにこのままでは敵わないとみて南蛮の他の酋長たちにも声をかけ、さらに大軍を集めることに成功する。 このままぶつかるには危険とみた孔明は陣を堅くし、迂闊に攻め込まないように各将を戒めた。 そして、いくら挑発しても蜀軍が攻めてこないため南蛮軍の気はガバガバに緩みきってしまい、隙をつかれてこれまた敗北。カウントⅣ 朶思王登場! さて、知略戦では孔明には敵わないといい加減悟った孟獲。弟の孟優に相談して南蛮一の知恵者朶思王(だしおう)の力を借りることにした。 孟獲を自分の領地に招き入れた朶思王は、自信満々に我に秘策あり。蜀軍など恐れるに足らずと言い放つ。 その南蛮随一の切れ者、朶思王の秘策はこれだ! ①朶思王の領地へ行く道は2つあり、一つは安全な道だがもう一つは毒蛇やサソリがいっぱいいる危険な道。だから安全な道を遮断してしまおう。 ②危険な道はどうにか抜けたとしても、その先には毎日決まった時間に毒ガスが噴き出る場所がある。 ③さらに先には恐ろしい4つの毒の泉がある。飲むと声が出なくなって死ぬ泉、体が溶ける泉、体が黒くなって死ぬ泉、冷たいが体が柔くなって死ぬ泉。喉が渇いた蜀軍は泉に手を出す。 ④だから蜀軍はここまでたどり着けない。←Q.E.D証明終了 策...いや策...うん策...? いやまぁ、たしかに良く言えば地の利を活かしていると言えるだろうが……はっきり言ってそのまんまである。 要約するとこの辺は危険地帯だから蜀軍も攻めてこれないよ!(キリッと言っているだけで策もへったくれもなく、正直言って知恵者関係ない。 たしかに孔明も最初は手こずっていたが、危険地帯を切り開いて進む頭脳があるからこそ本当の知恵者なのだ。 また、世を捨て山中に隠居していた孟獲の兄孟節の力を借りるなどして蜀軍はとうとう朶思王の領地へとたどり着く。 「孔明とは神か悪魔か……」 さて、すっかり(勝手に)ビビってしまった朶思王だが、孟獲はまだまだ戦う気満々である。 及び腰の兵士たちに喝を入れていたところ、近くの酋長楊鋒が加勢に来る。 これで怖いもんなしだぜ!と思っていたのも束の間、実は楊鋒は既に孔明に降っており、宴会で女性に剣舞をさせて楽しんでいる所を隙をついて孟獲を捕獲する。カウントⅤ 肝っ玉カーチャン祝融夫人 5回捕えられてもめげない負けない孟獲くん。 本拠地に戻って各地の酋長たちとあーでもないこーでもないと議論を交わす。ちなみに朶思王はいつの間になんか戦死した。 そんな不毛な議論を交わしている野郎どもを一喝したのが、孟獲の鬼嫁祝融(しゅくゆう)である。 祝融は火の神の末裔を自称(そもそも「祝融」自体が中国における火の神の名前)し、男勝りな性格で飛刀の達人と、そこいらの武将よりもよっぽど勇猛な肝っ玉カーチャンである。 不甲斐ない男どもに業を煮やした祝融は直々に出撃し、自慢の飛刀で蜀の武将馬忠・張嶷を捕え、あの趙雲や魏延といった勇将を追い払うという大戦果をあげる。 凱旋した祝融夫人は馬忠・張嶷を殺そうとするが、 孟獲は「諸葛亮は捕えた俺を殺さずに助けてくれた。いま諸葛亮の部下を捕えたからって殺すことは無いだろ?」となだめており、根っからの悪人ではないところも見せたり。 祝融を侮りがたしと見た魏延と趙雲は、祝融のことを駝鳥夫人と挑発。 男勝りな祝融は当然激おこぷんぷん丸。冷静さを失って突っ込んで行った所を捕えられてしまう。 結局祝融は先に捕えていた馬忠・張嶷と人質交換で解放される。 猛獣使い木鹿大王参上! さて、八方塞がりになった孟獲は、やむを得ず普段は対立している木鹿大王(ぼくろくだいおう)へと救援を求める。 木鹿大王も孟獲が敗れたら蜀の矛先は次に自分たちへ向けられると考え、孟獲への救援を承諾する。 木鹿大王の軍団は虎や豹といった猛獣や毒蛇を操り、さらに木鹿大王自身も象に乗って出陣する。 中国で象が軍に出てくるのは殷末以来のことらしい。 初めは慣れない猛獣との戦いに蜀軍は総崩れとなるが、ここはやはり最強無敵・孔明先生の出番である。 孔明は書物であらかじめ猛獣を操る軍団のことを知っており、それに備えて秘密兵器木獣を用意しておいたのだ。 木獣とは簡単にいうと猛獣の形をした木像で、中に人が入って動かすことができ、さらに口から火や煙を吐き出すこともできた。 これにはさしもの猛獣たちも恐れて逃げだしてしまい、木鹿大王は関羽の子関索に討ち取られる。 孔明「関索 人だ、人を狙え」 関索「でやっ!」(象を狙いながら) ※上記は横山光輝版三国志における木鹿大王と戦う場面。孔明のアドバイスを華麗にスルーしてた。その後ちゃんと人の方を狙ったが。 あ、孟獲さんもどさくさに紛れて捕えられました。カウントⅥ リアルモンスター兀突骨 いい加減凹み気味の孟獲さん。やむを得ず南蛮のさらに奥地、烏戈国( う か こく)の兀突骨(ごつとつこつ)に救援を求めることにした。 この兀突骨だが、以下のように伝えられている。 身の丈十二尺(現在でいうと270~290センチ) 全身が鱗に覆われている。 生きた蛇や獣を食べている。 ※三国志演義は西遊記や封神演義のような妖怪変化の世界観ではありません。 とまぁ、フィクションなのをいいことに、いくらなんでも盛りすぎだろってくらい盛っている。 それはともかく、兀突骨の軍には藤甲兵という軍団がいた。 藤甲兵とは藤の蔓を編んだ後に油で漬け込む→乾かすを10回あまり繰り返して出来た鎧であり、槍や剣、矢を全く通さず、水にも浮き、軽いので動きの邪魔にもならないという優れものである。 例によって最初は藤甲軍に苦しめられた蜀軍であったが、材料が蔓であること、そこに油がたっぷりとしみ込んでいることから火に弱いと見破った馬謖の進言により、兀突骨をはじめとした藤甲軍は火計によってまる焼け(全滅)の憂き目にあう。 兀突骨が孔明を討ち取ったという偽の報告を受けた孟獲は、陣から出たところをあっさりと捕まってしまう。カウントⅦ 孟獲帰順 しかし諸葛亮は、最後の藤甲軍を焼き殺したことでショックを受けていた。あまりにもむごすぎたのである。 「これほどの無慈悲な殺しをした自分が、善終できようはずがない」 「南蛮討伐といいながら、本国を遠く離れ、やったことといえば孟獲など比較にならぬ残虐ではないか」 自らの所業を見つめなおし、心が折れた諸葛亮は、七たび捕えられてすっかり悄然とした孟獲を釈放するよう言った。 しかし孟獲は、そんな孔明に自ら膝をついた。 単なる獲物ではなく、悪辣な侵略者でもなく、聡明でありながら慈悲と自責の心を持った孔明に対して、孟獲は心から帰順することとなる。 こうして、孔明の南蛮平定はなされたのであった……。 十年後、諸葛亮が五丈原で陣没して棺となって帰ってきた際、その葬式には泣き崩れる孟獲の姿もあった。 BB戦士三国伝の南方軍 三国志全体で見ても特にトンデモであるためか、三国志系作品でもスルーされることの多い南蛮勢力だが、SDガンダムでは「南方軍」と名を変えながらも無事出演。 演者は以下の通り。 孟獲→ゴッドガンダム 祝融→ノーベルガンダム 兀突骨→マスターガンダム 朶思大王→ガンダムヘブンズソード 木鹿大王→グランドガンダム 帯来洞主(*1)→ウォルターガンダム とまぁ、見事にGガンダム勢で固められている。ライジング「……」 異形の多い南蛮武将にデビルガンダム四天王を配役したのは名采配といえる。 プラモでは孟獲・祝融と、二人と合体できる巨神象・金剛夜迦(演者:マンモスガンダム)の三体セットが発売。さらに藤甲兵モチーフの兵士(*2)と馬のセット「南方牙隊」も発売。 四天王は残念ながら未商品化。 ちなみに孟獲は古代赤流火穏(*3)王家の子孫であるとされる。本来の南蛮地域にあたる東南アジアとインドでは随分遠いが、もしかしたらその辺りも赤流火穏の支配地域であったのかも知れない。 追記・修正は南蛮を平定してからお願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 初めて読んだ子ども版三国志では南蛮軍は異文化の名前を音訳してるという解釈なのか中国語読みのカタカナ表記になってた。トントナー・オホェナン・チンホワとかトースー大王・ムールー大王・ウトクー大王とか -- 名無しさん (2015-03-30 10 39 48) ↑関羽が300本の矢を喰らうやつかな?孟獲にもルビで「モンホ」って当てられてたと思う。 -- 名無しさん (2015-03-30 11 01 14) ちなみに南蛮は上記で被害にあった馬忠・張嶷が見事に治めていた -- 名無しさん (2015-03-30 11 38 50) なんで無双とかの一部作品では「南中」なんだろう? -- 名無しさん (2015-03-30 12 25 34) 蛮の字が蔑称の意味を含むから -- 名無しさん (2015-03-30 12 33 04) 実際は別に野蛮な国ってわけでもないらしいしな。海のシルクロードを利用した交易や豊富な鉱山資源でかなりの商業圏を確立してたらしいし -- 名無しさん (2015-03-30 14 25 10) コーエー三国志(Ⅱあたりで)で、孟獲で蜀を滅亡させた強者はいるのだろうか……? -- 名無しさん (2015-03-30 14 53 23) 南蛮と有るからには一応東夷、北狄、西戎が居るが三国志の時代だと精々北狄の遊牧民しか居なくなってる -- 名無しさん (2015-03-31 08 57 09) 東夷って卑弥呼とかの日本人じゃねえの -- 名無しさん (2015-03-31 09 24 09) 高句麗もそうだな。西戎は羌や氐がそうだ。そして演義の南蛮のモチーフは西南夷。 -- 名無しさん (2015-03-31 12 02 12) ↑7 どこもそうだが文化圏の違いで漢民族から蛮族扱いされてるだけだからな。だから最近は南蛮じゃなく南中って呼ばれてる事が多い -- 名無しさん (2015-03-31 16 07 28) とあるゲームで、藤甲軍に馬超を殺されたのはびっくりした。でも、その後趙雲が一期 -- 名無しさん (2015-04-08 19 56 25) 反三国志における南蛮のネタっぷりは演義が腰抜かすレベル -- 名無しさん (2015-04-08 20 11 59) 横山三国志では南蛮編が一番面白い。あれだけ捕まっても威勢のいい孟獲の限りなきチャレンジ魂は既にそれ自体がギャグとして成立してるし南蛮軍のバリエーションの豊富っぷりも子供心にすごく面白かった -- 名無しさん (2016-07-29 14 06 17) 司馬懿を火計に嵌めた際、なんせい -- 名無しさん (2017-02-17 05 00 35) 現代に孔明先生がいなくてよかった。いたら今頃、ベトナムフィリピンは中国領(汗 -- 名無しさん (2017-02-17 09 44 22) ↑ ベトナム北部(交州)は三国時代には呉の勢力範囲だけどな -- 名無しさん (2017-06-09 07 05 55) なお心を攻める策は孔明の発案ではなく馬謖の進言である -- 名無しさん (2017-06-09 07 06 44) 無双3では呉軍がこの戦いをするシナリオもあり、その時の呉軍の指揮官は放火魔こと陸遜が務める -- 名無しさん (2019-02-14 12 44 23) 融こりん! 融こりんじゃないか! -- 名無しさん (2020-01-10 12 05 12) 魏延ですら渋々でも言うこと聞く孔明先生の「人だ、人を狙え!」の指示をスルーする関索がやたら面白い -- 名無しさん (2020-05-28 16 55 59) 決戦2というゲームでは孟獲夫妻の声が大助花子師匠だった -- 名無しさん (2020-05-28 17 17 05) ↑4 3だと孫堅が総大将なんだよな。 そのせいで、孫堅「よし突撃ー」、祝融「来たかい、火を放ちな!」→孫堅「火だ、逃げろー」、祝融「伏兵、矢を放ちな!」→孫堅「畜生後ろは火、前からは矢がー」孫堅討ち死に→ゲームオーバーを何度も経験しました… 孫堅、お前はもう動くな。 -- 名無しさん (2020-09-13 14 34 30) 金環三結というまるで見せ場もなく散った哀しき武将・・・ -- 名無しさん (2020-09-13 15 05 42) やっぱり、正史でも演義と同じく解放してるのねw -- 名無しさん (2020-09-13 16 27 47) 開放でなく侵攻だが、南蛮人にとって幸いしたのが侵略したのが中原嫌いの孔明だったこと -- 名無しさん (2022-05-22 16 56 11) あの辺に毒沼って実際あるの? -- 名無しさん (2022-05-22 17 56 36) ↑チフスにかかったのかも -- 名無しさん (2022-05-22 18 28 21) 烏戈国一族は生食文化だから加熱調理をしないつまり火に縁がなく油も藤蔓の強化剤としか認識してなく引火したら命取りというのを知らなかった…って事でいいのかな -- 名無しさん (2022-05-22 18 34 39) 脳筋だが人望はあり根っからの悪人ではないボスに、ヘタレの弟。知恵者(笑)の参謀に女幹部と、現代の戦隊ヒーローの悪役テンプレを先取りしている -- 名無しさん (2022-12-14 10 40 31) 藤の蔓というバイオ・アーマーを火刑で一掃した孔明だが、さすがに凄惨な焼死体の群れにはやりすぎちゃったと思ったりしている -- 名無しさん (2022-12-14 11 48 23) 饅頭誕生の逸話については触れないのかしらん -- 名無しさん (2022-12-30 03 46 44) 南蛮勢力は自然や動物を武器にしてるのが多いが諸葛亮はそれすら打ち破ってるな -- 名無しさん (2023-03-11 10 00 55) なおベトナム側の言い伝えでは孟獲が孔明を七回捕まえていたりする -- 名無しさん (2023-07-15 00 44 23) 孔明と孟獲の友情とか見てると、三国志時代の政治家たちがいかに民族問題に真剣に取り組んでたかわかる -- 名無しさん (2024-05-13 21 58 00) 名前 コメント
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ユーチューブ三国志ビデオ レッドクリフ予告編part1 レッドクリフ予告編part2 未来への最終決戦
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※三国志任務は一日10回まで受けることができる。 倉庫で使用し、受取ると任務欄に任務が増える。 任務をクリックし、対象の任務を受け、戦い終わったら、任務をクリックし、報酬を受け取る。 ※まとめて開くと一度の任務で済む。 三国志 第一話 「第七章 一度目の誘い 田舎の老人」をクリア 報酬 報酬の破片を5つ集めて合成すると 三国志 第二話 「第七章 一度目の誘い 鳥と羊」をクリア 報酬 報酬の破片を5つ集めて合成すると 三国志 第三話 「第七章 一度目の誘い 張飛の疑い」をクリア 報酬 報酬の破片を5つ集めて合成すると imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 三国志 第四話 「第十三章 要術の鳩 出兵の日」をクリア 報酬 報酬の破片を5つ集めて合成すると 三国志 第五話 「第十三章 要術の鳩 前途遠大」をクリア 報酬 報酬の破片を5つ集めて合成すると
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Last up date 2009-09-29 02 27 40 (Tue) ブラウザ三国志とは? ブラウザ三国志の世界にようこそ ブラウザ三国志は、あなたは乱世を生きる君主として 「3ケ月」という期間中に自国の領土を拡大し戦力を蓄え、 戦乱の渦巻く大陸の統一を目指すゲームです。 君主としてあなたの目標は戦争や外交によって 自分の同盟を拡大・強化し、 3ケ月経過するまでに世界の中心に複数存在する砦を制圧・防衛することです。 あなたがどのような戦略を持ち、どんな戦い方をするのかで、 戦局が大きく変わってきます。 都市を発展させよう ブラウザ三国志では、まず建物を建設し、都市を育て、発展させていくことが必要になります。 どの建物を優先して、どんな都市にするのか、 君主の手腕が試されます。 領地 あなたの城の周りには、多くの領地が広がっています。 鉄鉱山があって多くの鉄を獲得できる領地、穀物がいっぱいの領地… 広大な土地を獲得して、潤沢な資源を確保することが乱世を統べる英雄となるための近道です。 領地の獲得には、あなたの手足となって働く 「武将カード」が必要になります。
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蒲公英団wikiへようこそ 左のメニューから知りたい情報のページへ飛べます。 非同盟員の方は今ご覧になっているトップページと左メニューの非同盟員の方の為のページのみ閲覧できます。 まだまだ情報不足ですが、コツコツ育ててゆきます。 ページ右部、更新履歴の上にQRコードを貼り付けてあります、見づらいですが、携帯からも利用できます。 ご意見•ご要望 こんなページがあったら便利 あのページをもっと詳しく xxとyyは同じページでなく単独のページにした方が良いのでは? あそこ間違ってるよ! 等々、皆さんのご意見、ご要望を反映してゆきたいと思いますので、コメントへ書き込んでください。 以下は皆さんのコメントです。 これはテストです。 -- 名無しさん (2010-11-18 03 15 44) とても素晴らしい。びっくりです。 -- Qさん (2010-11-19 12 32 16) すげぇ。自分も貧乏人の知恵をコソコソと書いてみます -- wktk (2010-11-19 22 14 33) 携帯からのテストです -- イカ (2010-11-19 23 23 03) 見づらいですが携帯からも利用出来ます@携帯からでした -- イカ (2010-11-19 23 27 48) 勧誘の道具にもなりえますので非同盟員にもオープンのページあると良いんじゃないですかね -- ktkr (2010-11-22 02 10 49) ↑いい考えですね!検討してみましょう -- イカ (2010-11-22 03 45 50) ブラ三公式HPですね!もっと早くに出会っていたらよかった♪ -- 無名のたーぼー (2010-11-23 04 33 48) スバラシスーー!!!!! -- フランソワ (2010-12-28 08 17 03) 久しぶりに見た。あらためてスゴイ。 -- Qさん (2011-11-06 23 23 13) 名前 コメント この wiki を編集したい、どのカテゴリーにも入らない情報を新たなページで作りたい、そんな時はまずはこちらをご覧ください。 @wikiの基本操作 用途別のオススメ機能紹介 @wikiの設定/管理 分からないことは? @wiki ご利用ガイド よくある質問 無料で会員登録できるSNS内の@wiki助け合いコミュニティ @wiki更新情報 @wikiへのお問合せフォーム 等をご活用ください @wiki助け合いコミュニティの掲示板スレッド一覧 #atfb_bbs_list その他お勧めサービスについて 大容量1G、PHP/CGI、MySQL、FTPが使える無料ホームページは@PAGES 無料ブログ作成は@WORDをご利用ください 2ch型の無料掲示板は@chsをご利用ください フォーラム型の無料掲示板は@bbをご利用ください お絵かき掲示板は@paintをご利用ください その他の無料掲示板は@bbsをご利用ください 無料ソーシャルプロフィールサービス @flabo(アットフラボ) おすすめ機能 気になるニュースをチェック 関連するブログ一覧を表示 その他にもいろいろな機能満載!! @wikiプラグイン @wiki便利ツール @wiki構文 @wikiプラグイン一覧 まとめサイト作成支援ツール バグ・不具合を見つけたら? 要望がある場合は? お手数ですが、メールでお問い合わせください。
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三国志大戦とは セガがアーケードで展開しているリアルタイムトレーディングカードゲーム。 『三国志』や『三国志演義』の世界観を題材に作られている。 2005年3月15日に稼働開始。 フラットリーダ型筐体の盤面を戦場に見立て、戦場を駆ける武将の代わりとしてカードを盤面に配し、 それらのカードをダイレクトに動かして武将を操作するというシンプルなゲーム。 本作ではタッチパネルが筐体の盤面、つまり戦場となる。 三国志大戦2 三国志大戦の続編にあたる。2006年5月24日稼働開始。 本作は、これのver2.01にあたる。 これまで - 人が閲覧しました。 昨日は - 人が閲覧しました。 今日は - 人が閲覧しました。
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登録日:2009/06/27 Sat 13 00 05 更新日:2024/03/04 Mon 19 35 35NEW! 所要時間:約 7 分で読めます ▽タグ一覧 三国志 三国志演義 三國無双 中国史 前漢 劉備 劉協 司馬懿 司馬炎 呉 孫権 後漢 教科書では二行あれば充分 晋 曹操 漢 蜀 陳寿 魏 魏志倭人伝 魏晋南北朝時代 《三国志》は、巨大で豪壮な、凄まじくも儚い物語である。 あらゆる才能と志が活躍し、生き場を求め、散っていく。三国の時代からはるか後の現代でも、私たちは彼らの生き様と死に様に心惹かれ、没頭してゆく。 大まかな流れは三国志【年表】を参照。 なお年代記的には「三国時代」ではあるが、続く時代もひっくるめて「魏晋南北朝時代」とまとめられることも多い。 そして一つ押さえておきたいこと、この頃の日本は邪馬台国の時代。 当時の中華文明がいかに先進的だったか、この一事だけでも十分に理解できるだろう。 【成立】 『三国志』の原典は晋王朝に仕えた蜀出身の史官・陳寿が編纂し書き記した、正史『三国志』全六十五巻を言う。 しかし、物事を淡々と簡潔に記してあるだけなので、良くいえば「簡明」、悪くいえば「無味乾燥」で、面白いものではない。 そもそも正史『三国志』は歴史書である。 読者を楽しませるために書かれたものではなく、歴史的事実を端的に記述することを目的としているので当然なのだが、 この歴史書を参考にし、庶民にもわかりやすくした娯楽小説、それが『三国志演義』である。 大胆な脚色とわかりやすい位置付け、怒涛のストーリー展開で民衆の心を掴んだ。 こちらは娯楽本という性質の違いから、虚構と事実が入り混じり、多くの俗説を取り込んだ為どっちつかずの部分も多々ある。 重要なのは、 正史のすべてが必ずしも事実だとは限らないということ と、 演義が必ずしも虚構だけの物語ではない ということを胸に刻んでおくことである。 むしろ中国人の思想、とくに庶民の思想も多く取り込まれており、その意味では文化的な意味で重要な「野史」ともいえる。 『三国志演義』は東晋、宋初期に仕えた裴松之(はいしょうし)が注を付けた『裴松之注三国志』が原作に近い。 これは陳寿の『三国志』に、後漢、蜀、呉、魏の逸話や民間伝承、魏にとって不利な事実(記されていないもの)が大量の追記がされ注が付けられており、伝承なども書かれている。 これを参考に民間で講談師や劇作家が面白く創作し、多くの人物像が形成されたり省略されたりして理解しやすく改変し、民衆に親しまれることとなる。 『三国志演義』の作者は一四世紀、明の時代の《羅貫中》(らかんちゅう)という人で、三国鼎立の時代からは千年余の時間が過ぎている。 これは小説で、フィクションが混ざっている。むろん、物語の基軸は史実に基づいてはいるが、三~四割程度が創作である。 それらのフィクションも、羅貫中自身が作り上げたというよりも、千年の永きに渡り庶民の間で広まっていた伝説などがベースである。 面白いエピソードばかりを採用したのだから、『三国志演義』がつまらないわけがない……と言いたいところであるが、どうであろうか。 『三国志演義』の最大の特徴は、歴史書版『三国志』では敗北し滅亡する側の蜀皇帝・劉備、その軍師・諸葛亮を主人公とし、大国魏の曹操を最強最悪の敵役とした点であろう。 いわば、悪が栄え、正義が滅んでいくという悲壮なるドラマに完全に仕立てあげた。 これは庶民に受けた。さらには海を越え時代を超えて、日本人にも親しまれた。 というわけで、一般的に《三国志》という場合、もともとの歴史書ではなく、『三国志演義』のことをいう。 創作における三国志 多くの人々に親しまれた三国志(三国志演義自体が創作でもあることはさておくとして)。 小説や漫画、ゲーム、映画などの題材に選ばれることも少なくない。 現在の日本でもっとも著名な三国志といえば、吉川英治氏の小説、そして吉川版を原案とした横山光輝氏の漫画作品だろう。 三国志演義を大元に据え、英雄たちの興亡を描いた大作である。 なお、最後に希望があるみたいな終わり方をしているが、それは地獄への入り口だ。 娯楽小説として親しまれてきた『演義』系作品の一方で、正史の『三国志』をベースにしている作品も現れた。 李學仁原案・王欣太執筆の漫画『蒼天航路』は掴み所の無い、快活だが冷徹な快男児・曹操と魅力溢れる英雄たちを豪麗に描き、 北方謙三の小説『三国志』では《男》の生き様と死に様とは何かを突き詰めて書いており、 宮城谷昌光の小説『三国志』では後漢王朝の腐敗の要因、政治の要諦とはなにかを、つまびらかに著している。 どの作品も、一度は読んでいただきたい作品である。 一般的な理解に対して、まったく異なる独特な観点で描いているのが安能務の小説『三国演義』。 作者のリンク先項目も参照してほしいが、戸籍登録人口の少なさに象徴される当時の社会情勢に着目し、曹操や孔明などの「英雄」たちが実は歴史を変える力を持たない、非力な存在であったという、一風変わったビターな三国志が描かれる。 ゲーム分野では、Koeiの戦略シミュレーション『三国志』シリーズや、英雄たちを操り押し寄せる敵兵を豪快になぎ倒すアクションゲーム『真・三国無双』がその筆頭だろう。 ユーザーの間で演義系・正史系の双方が認知されていくにつれ変化していった作中における人物像もまた興味深い。 映画は2008年・2009年に二部構成で公開されたジョン・ウー監督作品《レッドクリフ》が記憶に新しい。 その評価と賛否は分かれるものの、当時の雰囲気のようなものは伝わったのではないだろうか。 (レッドクリフ登場人物の髪型などは当時の風俗を忠実に再現している) またレッドクリフよりもはるか以前に作られた、中国中央電視台による国営版「三国演義」も映像モノとしては有力。 なにせ黄巾の乱から三国滅亡まで、全編を網羅している超大作。 馬から城郭から赤壁戦艦群から、すべてが1/1スケールで再現されたという徹底ぶり。CG? んなもんありません。 ただしあまりに大作すぎて視るのは大変だが。 【英雄たちの人物像】 《三国志》には数多の英雄たちが現出するが、彼らの実像は歴史の混迷に遮られていてよくわからない。 だが、逸話のなかで部分的に垣間見える姿形も有る。 以下は英雄たちの実像に、少しだけ迫ってみたものである。 【劉備】 《三国志演義》では彼は徳の将軍、皇室の末裔とされ、善の象徴のような人物で、大義を掲げ民を救うために各地を奔走する。 実際は奔走するというより転げ回ったといったほうが的確だが、 彼は関羽や張飛といった剛勇の士を義兄弟として、諸葛亮や法正などの知謀の士を従えたことから、やはり尋常ならざる人物だといえる。 時代を見通す眼を持ち得なかった人だともいえるが、諸葛亮という眼を手に入れた彼はついに蜀を建国した。 放浪の末に国を手に入れた彼は、並々ならぬ《意地》の英雄ではなかろうか。 ちなみに見方を変えると「行く先々で裏切りを繰り返しながら臆面もなく偽善者ぶり、ついには皇帝になったしぶとい権謀家」とも見れる。 呂布いわく「こいつが一番信用できないんだ!」 【孫権】 父・孫堅、兄・孫策の遺した基盤を継ぎ、着々と勢力を拡大した。《三国志演義》では狭量な策謀家として描かれ、劇的な描写は少ない。 曹操のように自ら前線で指揮を採ることは少なく、統治能力、政治に長けていたことも起因するのではないだろうか。 実際の彼は異民族をよく治め、山越(呉の山領を住み処とした族)の若者を配下に加えている。 父兄の死を乗り越え、臣下の分裂も許さず、若くして君主権力の強化に努めた。 《和》を保ち《謀》を打ち出した彼は、偉大なる君主と呼んで差し支えないだろう。 ただし、晩年は除く 【曹操】 迷宮のような人格の人である。 最大の権力を持ちながら、劉備、孫権のように皇帝の位に即かず、あくまで漢を倒さなかった。 四海の群雄を滅ぼし、中華で最大最強の国を作り上げた彼がなぜ、最上の地位に即かなかったか。 それを知れば、やがて曹操という英雄の実像が見えてくる……と言いたいのだが、《三国志演義》で悪役として定着した彼の姿はやはり、簡単には拭えない。 武と智を併せ持ち、魏国を建てた曹操はやはり、乱世の奸雄であった、ということだろうか。 【三国志の魅力とはなにか】 人の持つ夢や憤慨の念はいつしか大地を揺るがし、天を衝き動かす。 動乱に立ち向かう民衆の勇姿に震え、平和を願いつつ戦う英雄たちの一挙一動に握りこぶしを作る。 限りの有る人生をどう生きるか、決断を迫られたときどうするか。決断を下した者たちの、溢れんばかりの生の力。 これが、三国志が人々を惹きつけてやまぬ所以ではないだろうか。 追記、修正お願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 曹操で始まり孔明に終わる あるいは 董卓が引き起こし 司馬氏が納める かな -- 松永さん (2013-10-31 00 16 45) 現実の孔明って、曹操やかませにされた連中からすれば、劉備のとこにそんなのがいるらしいな、って程度らしい……。 -- 名無し (2013-10-31 00 37 01) つか孔明って軍略家じゃなくて政治家って話じゃなかった? -- 名無しさん (2013-10-31 00 46 31) 政治家だよ、実際には軍を率いる事は上手く出来ても演義でやってた奇策を持って敵を打ち破るってのは苦手だったらしい 因みに人を見る目がないってのは武官系の話で孔明が見付けた文官はよく仕事してる -- 名無しさん (2013-10-31 06 07 01) DMCの作者は「どの勢力に属するか」との問いに「全部」、「好きな武将は?」との問いに「知らない」と答えている。 -- 名無しさん (2013-11-01 16 33 05) 最終的には三国どこも天下を取れず新しく出て来た別の国が大陸を統一する…諸行無常だなぁ -- 名無しさん (2013-12-05 08 37 39) ↑×5諸葛氏は瑯邪郡出身なんだけど、この辺りの土地は結構名士を排出してる土地なんよ。で当時の名士は、敵味方に別れても意外と手紙のやり取りとか普通にしてたりするんだよね。瑯邪出身の諸葛氏の一族ねって事で多少は知名度はあったと思われ。実際諸葛氏は三国の全てに一族いたし、当時の名士の情報網てゆーか交友関係って侮れないよ。 -- 名無しさん (2014-02-18 00 28 47) ↑同意。というか孔明って、一族の単位で語られるのが少ないんだよね… -- 名無しさん (2014-08-13 18 53 47) 孫権は褒めすぎだろ -- 名無しさん (2014-10-20 22 00 24) 孫権は晩年がもうマジキチ -- 名無しさん (2015-01-04 00 46 09) 最近は劉備より曹操を中心にする傾向が有るように感じる、最近の中国大作ドラマな三国志では曹操が主人公みたいな感じだった -- 名無しさん (2015-01-04 01 29 16) 今更だが何で三国志演義では正義の劉備VS悪の曹操って感じに描かれたんだろうな。歴史的には勝者は曹操とされているのに… -- 名無しさん (2015-03-31 22 03 09) 思えばハマった切っ掛けは中学の図書館で読んだ横山光輝三国志だわさ。 -- 名無しさん (2015-03-31 22 20 00) ↑↑ 中国は儒教国家だから。儒者の人たちは基本的に王朝=正義って感じだから、簒奪者とか反乱やってる連中はクズ扱いする。 -- 名無しさん (2015-04-01 00 51 25) 強いものがいて、しかし「英雄」はおらずって感じですね。 最近は演義で正義だったものがただの群雄だったりクズだったりする -- 名無しさん (2015-04-01 10 52 19) 曹魏の後継の晋がアレだったってのも一つの要因だろうな>正義の劉備VS悪の曹操 -- 名無しさん (2015-04-01 11 05 25) 究極的に言えば勝者はいないんだろうけどな。晋ですら早々に滅ぶし -- 名無しさん (2015-12-15 18 05 14) 日本史でさえ手を焼くのに海外にも目を向けろとか無理ぽ。コーエーのゲームも一切興味ないし -- 名無しさん (2016-02-02 13 04 26) ↑3、5、7 元々正史自体が蜀の文官が記載したもの(実際劉備に対しては好意的に記載している)である事、丁度演技が作られた時期がモンゴル民族の支配下で漢民族が弾圧されていた事で劉備側に感情移入しやすかった事と純粋な判官贔屓が合わさって劉備側が正義と描写されたんだと思う。 -- 名無しさん (2016-02-26 21 18 47) ↑2 よしわかった。まずは『独眼竜政宗』からはじめようかw -- 名無しさん (2016-09-16 11 27 22) 曹操は快活なダークヒーロー、劉備は聖人君主ってどちらもポジティブな視点で描いた作品の方が近頃は多いね。良い傾向 -- 名無しさん (2016-12-10 06 30 58) ↑6 英雄の大半が結構エグい事しているから英雄=高潔で素晴らしい人って考え自体が間違い。 -- 名無しさん (2016-12-10 09 49 48) そういえば、日本で色々な二次創作が盛んなのと同じように、中国では、三国志の二次創作が盛んだったりするのかな?そこらへん、中国の人に聞いてみたいな。 -- 名無しさん (2017-07-21 15 31 38) ↑最近ようやく女体化が出てきたんじゃなかったか?関帝強すぎでそこらへんの二次創作は多そうだが -- 名無しさん (2018-05-24 10 14 17) やっぱり日本での知名度は横山三国志の功績が最大だろうなぁ。 -- 名無しさん (2018-07-01 17 30 45) 何が凄いって、日本で言えば卑弥呼よりもさらに前の時代(「親魏倭王」の称号と金印を送ったのが曹操の孫)にこれだけのことをやって、しかもその記録が残ってるってことだよな。 -- 名無しさん (2018-11-29 11 25 33) ↑古代日本が先進国家として遣唐使、遣隋使を送っているのは伊達じゃないってことさね。唐も隋も日本史では聖徳太子、かなり初期のころに登場する国家、中国史だ既に中頃ってんだからやっぱすごいよ -- 名無しさん (2020-01-23 14 20 34) 聞いた話によると中国人は三國志の影響で日本人が三国時代に異様に詳しいことに驚き、同じ人がそれ以外の中国の歴史を全く知らないことに二度驚くらしい -- 名無しさん (2021-03-03 11 22 17) BB三国伝BBWも忘れちゃいけないぜー。三国志の入口としては最適じゃないかな -- 名無しさん (2021-04-01 22 33 56) 反三国志の記事がなかなかできないな。三国志の二次創作を始めて書いたのは周大荒が初めてか? -- 名無しさん (2021-04-25 22 33 23) 名前 コメント